陸上競技の舞台で輝かしい成績を収め、現在はランニングインフルエンサーとして多くの人々を魅了する志村美希さん。
彼女のこれまでの歩みは、まさに挑戦と努力、そして困難を乗り越えた感動の物語です。
この記事では、志村美希さんの学歴、経歴、プロフィール、そして知られざる苦労話まで、その魅力あふれる人物像を詳しくご紹介します。
志村美希さんの基本プロフィール
志村美希さんの基本的な情報!!
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 名前 | 志村 美希(しむら みき) |
| 生年月日 | 1999年8月29日 |
| 年齢 | 25歳(2024年時点) |
| 身長 | 167cm |
| 出身地 | 東京都国分寺市(推定) |
| 血液型 | 不明 |
| 愛称 | ミキティー |
愛称「ミキティー」で親しまれる志村美希さん。
167cmという長身を活かし、陸上競技、特に800メートル走で素晴らしい実績を残しました。
アスリートとしてのキャリアを終えた後も、その経験と持ち前の明るさで、SNSを中心にランニングの楽しさを広める活動を続けています。彼女の活動は、多くのランナーや健康に関心を持つ人々にとって、大きな励みとなっています。
走ることへの目覚め 小学生時代
志村美希さんの走ることへの情熱は、意外なきっかけから始まりました。彼女が育った環境では、安全上の理由からか、小学生の頃は自転車に乗ることが禁止されていたそうです。
そのため、友達の家へ遊びに行くにも、公園へ駆け出すにも、移動手段はいつも自分の足でした。
毎日、友達と目的地まで競争するように走っていたのかもしれません。何気ない日常の移動が、知らず知らずのうちに彼女の脚力を鍛え、走ることへの楽しさを育んでいきました。風を切って走る爽快感、友達と競い合うワクワク感。この頃の経験が、後の陸上競技への道を開く、まさに原点となったのです。
特別なトレーニングではなく、日常の中の「走る」という行為が、彼女の中に眠っていた才能を目覚めさせるきっかけとなりました。速く走れることは、彼女にとって自信となり、自己表現の一つになっていったのかもしれません。
陸上競技での才能開花 中高生時代
走ることの楽しさを知った志村美希さんは、ごく自然な流れで陸上の世界へと足を踏み入れます。
国分寺市立第一中学校での飛躍
中学校に入学すると、迷わず陸上部に入部。
小学生の頃から培ってきた走力を活かし、彼女は中距離種目である800メートル走を専門とすることを決めました。800メートル走は、スピードと持久力の両方が求められる過酷な種目ですが、彼女は持ち前の才能と努力で、めきめきと頭角を現します。
初めて出場した地区大会では、いきなり好成績を記録。周囲を驚かせるとともに、大きな自信を得ました。この成功体験が、彼女をさらに陸上競技へと駆り立てます。
厳しい練習にも真摯に取り組み、着実に力をつけていった結果、東京都の大会へと駒を進めるまでになりました。都大会という大きな舞台でも物怖じすることなく、自分の走りを貫き、県大会(東京都の場合は都大会に相当)への出場権を獲得します。中学生にして、すでに彼女の才能は際立っていました。
- 陸上部に入部し、800m走を専門とする
- 初めての地区大会で好成績を収める
- 東京都の大会を経て、県大会レベルに進出
強豪校での挑戦 白梅学園高校時代
中学校で確かな実績を残した志村美希さんは、さらなる高みを目指し、陸上競技の強豪校として知られる東京都小平市の「白梅学園高校」への進学を決意します。
白梅学園高校へ行きたかったのは、卜部(うらべ)蘭(現・積水化学)にあこがれてのことでした。卜部選手は中学時代から全国の舞台で活躍し、白梅学園時代には日本ジュニアで800mを制している。志村さんは中学生の時に卜部選手のレース動画を見て、「こんな強くて速い選手が東京にいるんだ」と夢中になった。その卜部選手が通っていた白梅学園は家からも近かった。「これはもう運命だ。絶対に白梅にいく、いくしかない!」と決意したのです。
しかし、この進学には少しドラマがありました。ご家庭の経済的な事情から、当初は学費の負担が少ない都立高校への進学を勧められていたそうです。
諦めきれなかった志村さんは白梅学園のオープンキャンパスに行き、陸上部の練習にも参加させてもらいました。初めて卜部選手と練習した日のことは今でも覚えています。「もうアップがタイムトライアル並みにめちゃくちゃきつかったんです。でもこれで垂れてしまったら顧問に『白梅には向いてない』と言われてしまうんじゃないかと思って、一生懸命走りました」。なんとか練習についていった志村さんは、改めて白梅学園にいきたいという旨を白梅学園の顧問だった遠藤道男先生に伝えました。「だったら先生が親を説得するよ」と言ってもらえ、遠藤先生の「絶対インターハイに連れていく」という後押しもあり、志村さんは晴れて白梅学園に進んだのです。
それでも、陸上競技に打ち込み、より高いレベルで挑戦したいという強い思いがあった志村さんは、諦めませんでした。自ら行動し、ご家族を説得したのか、あるいは他の方法を見つけたのか、詳細は不明ですが、最終的に強い意志を貫き、白梅学園高校への進学を果たします。
白梅学園高校は、全国レベルの選手が集まる厳しい環境です。その中で、志村さんは一層練習に励み、才能をさらに開花させていきます。
高校時代のハイライトは、やはり全国高等学校総合体育大会(インターハイ)への出場でしょう。並み居る強豪選手たちと競い合い、800メートル種目で見事決勝進出を果たします。特に高校3年生の時には、自己ベストタイムを大幅に更新する快走を見せ、その実力が全国レベルであることを証明しました。
厳しい環境に身を置くことで、彼女の闘争心と技術は磨かれ、アスリートとして大きく成長を遂げたのです。
- 陸上強豪校「白梅学園高校」に進学
- 全国高等学校総合体育大会(インターハイ)に出場
- 高校3年時、800mで自己ベストを更新し決勝進出
日本トップレベルへの道 日本体育大学時代
高校で全国レベルの実力を示した志村美希さんは、スポーツ科学の分野で国内トップクラスの実績を持つ「日本体育大学」へ進学します。アスリートとしてさらなる成長を遂げるための、理想的な環境と言えるでしょう。
大学では、より専門的で高度なトレーニング理論に基づいた練習に取り組みます。レベルの高いチームメイトたちと切磋琢磨し、トップアスリートとしての意識も高まっていきました。その努力は着実に実を結びます。大学2年生の時、「関東学生新人陸上競技大会」の800メートル走で見事優勝。この時記録した2分09秒89は、彼女にとって大きな自信となる自己ベストタイムでした。

そして、大学4年生になると、その実力は日本のトップレベルに到達します。陸上競技界で最も権威のある大会の一つ「日本陸上競技選手権大会」に出場。予選、準決勝と勝ち進み、決勝の舞台へと駒を進めました。
この大会で記録した2分07秒71は、当時の彼女の集大成ともいえる素晴らしい記録です。決勝進出という結果は、彼女が世代トップクラスのランナーであることを明確に示しました。また、同年の「日本学生陸上競技対校選手権大会(日本インカレ)」でも800メートル走で5位入賞を果たし、学生最後のシーズンを有終の美で飾りました。
日本学生陸上競技対校選手権の決勝の様子はこちら
テレビに映る自分が本当に自分なのか今だにわかりません。初めての日本選手権でしたが実は一人になってから滅多にしない悔し泣きができました。あんな大舞台で悔しいって思える自分はまだ強くなれるって信じてます。沢山の応援ほんとにほんとにありがとうございました。 pic.twitter.com/ZDZs4rBhQm
— 志村美希 (@mikkkkkity) October 4, 2020
日本体育大学時代の主な実績
- 日本体育大学に進学し、高度なトレーニングを積む
- 大学2年 関東学生新人陸上競技大会 800m 優勝(2分09秒89 – 自己ベスト更新)
- 大学4年 日本陸上競技選手権大会 800m 決勝進出(2分07秒71 – 自己ベスト更新)
- 大学4年 日本学生陸上競技対校選手権大会(日本インカレ) 800m 5位入賞
大学時代の輝かしい成績は、彼女の才能と努力の賜物です。しかし、この輝かしいキャリアの裏で、彼女は大きな決断を迫られることになります。

競技引退と苦難 うつ病との闘い
大学を卒業し、輝かしい実績を残した志村美希さんには、当然のように実業団チームからの誘いがありました。多くのトップアスリートが歩む道であり、競技を続ける環境としては申し分ありません。しかし、彼女は意外な決断を下します。
「楽しい」うちに アスリートキャリアへの区切り
志村さんは、「陸上競技を楽しいと思えるうちに引退したい」と考え、実業団には進まず、競技生活にピリオドを打つことを選びました。
長年打ち込んできた陸上競技ですが、トップレベルで戦い続けることのプレッシャーや、常に結果を求められる厳しさの中で、いつしか純粋な「楽しさ」だけでは続けられなくなっていたのかもしれません。最高の思い出とともに競技人生を終えたい、という彼女なりの美学があったのでしょう。この潔い決断は、彼女の人生における大きな転換点となりました。
新たな挑戦と見えない壁 ヨガインストラクター時代
競技引退後、志村さんは新たなキャリアとしてヨガインストラクターの道を選びます。アスリートとしての経験を活かし、身体を動かすことの楽しさや健康の大切さを伝えたいという思いがあったのかもしれません。しかし、新しい環境は彼女にとって簡単なものではありませんでした。
これまでとは全く異なる仕事内容、人間関係、そしてアスリート時代とは違う種類のプレッシャー。慣れない環境でのストレスは、徐々に彼女の心と体を蝕んでいきました。期待と現実のギャップに苦しみ、自分が何をしたいのか、何ができるのかを見失いかけていたのかもしれません。
LAVAホットヨガスタジオ時代の志村美希さん
うつ病の発症 そして休養へ
新しい環境への適応に苦しむ中、志村さんは心身のバランスを崩し、うつ病を発症してしまいます。かつて陸上トラックを颯爽と駆け抜けていた彼女が、心の病という見えない壁にぶつかり、動けなくなってしまったのです。症状は深刻で、一時は勤めていた会社を辞めざるを得ない状況にまで追い込まれました。
目標に向かって努力を続けることが当たり前だったアスリート時代とは対照的に、何もする気力が起きず、将来への希望も見いだせない日々。この時期は、彼女の人生において最も辛く、苦しい時間だったと後に語っています。
輝かしい実績を持つ元アスリートという肩書きが、逆にプレッシャーになることもあったかもしれません。周囲の期待に応えられない自分を責め、孤独感を深めていった可能性も考えられます。この経験は、彼女に深い傷を残すと同時に、人生を見つめ直す大きなきっかけとなりました。
新たな道 ランニングインフルエンサーとしての再起
うつ病という深いトンネルの中でもがき苦しんでいた志村美希さん。しかし、彼女はこのままでは終わりませんでした。再び走り出すきっかけを与えてくれたのは、ある出会いでした。
一筋の光 先輩からのアドバイス
休養中、彼女は同じようにランニングの情報を発信しているインフルエンサーの先輩と話す機会を得ます。その先輩からの「SNSで自分のランニングライフを発信してみたら?」というアドバイスが、彼女の心に響きました。
最初は戸惑いもあったかもしれません。しかし、自分が最も情熱を注いできた「ランニング」を通じて、何かを発信できるかもしれない、誰かと繋がれるかもしれないという可能性に、小さな希望を見出したのです。
SNSでの発信 再び走り出す喜び
アドバイスを受け、志村さんは自身のSNSアカウントを開設し、日々のランニングの様子や、感じたこと、時には過去の経験や苦悩についても、少しずつ発信を始めました。すると、彼女の等身大の言葉や、楽しそうに走る姿に共感する人々が徐々に増えていきました。
「ミキティーの投稿を見ると元気が出る」「一緒に頑張ろうと思える」「辛い経験を乗り越えた姿に勇気をもらった」
フォロワーからの温かいコメントや応援は、うつ病からの回復過程にあった彼女にとって、大きな支えとなりました。誰かの役に立っている、誰かと繋がっているという実感は、自己肯定感を取り戻す助けとなり、再び前を向く力を与えてくれたのです。競技としてではなく、純粋に楽しむためのランニング。その魅力を自身の言葉で伝えることに、新たな生きがいを見出しました。
人気インフルエンサーへ 活動の広がり
現在、志村美希さんは多くのフォロワーを持つ人気のランニングインフルエンサーとして活躍しています。SNSでの発信を中心に、ランニングイベントへの参加、メディア出演、企業とのタイアップなど、その活動は多岐にわたります。
彼女の発信内容は、単に速く走るためのテクニックだけではありません。
- ランニングを楽しむためのマインド
- おしゃれなランニングウェアの紹介
- 健康的な食事やライフスタイルの提案
- 自身の経験に基づいたメンタルケアのヒント
- 目標達成の喜びや、時には挫折との向き合い方
など、ランニングを通じて人生を豊かにするためのヒントが満載です。アスリート時代の経験と、うつ病を乗り越えた経験を持つ彼女だからこそ伝えられる、説得力のあるメッセージが多くの人々の心を掴んでいます。彼女は、ランニングが持つポジティブな力を体現し、多くの人々に走り出すきっかけを与え続けているのです。
家族構成 支えとなった存在
志村美希さんの活躍の陰には、家族の支えがありました。公表されている情報によると、彼女には弟さんと妹さんがいることがわかっています。
特に印象的なエピソードとして、高校進学時の話が挙げられます。前述の通り、経済的な理由から都立高校への進学を勧められた際、彼女は陸上強豪校である白梅学園への進学を強く希望しました。最終的にその希望が叶った背景には、本人の強い意志はもちろんのこと、ご家族の理解とサポートがあったことは想像に難くありません。もしかしたら、家族会議が開かれ、彼女の熱意に家族が心を動かされたのかもしれません。あるいは、学費の面で何らかの工面があったのかもしれません。詳細は不明ですが、多感な時期の大きな決断を後押ししてくれた家族の存在は、彼女にとって大きな力となったはずです。
また、うつ病で苦しんでいた時期も、家族は一番身近な存在として彼女を支え続けたのではないでしょうか。すぐに結果が出なくても、焦らず見守り、回復を信じて励まし続けたであろう家族の存在は、彼女が再び立ち上がるための大きな心の拠り所となったと考えられます。弟さんや妹さんとの関係性については詳しい情報はありませんが、兄弟姉妹がいる環境が、彼女の明るさやコミュニケーション能力を育んだ一面もあるかもしれません。家族との絆が、彼女の人間性や困難を乗り越える強さを形作る上で、重要な役割を果たしてきたと言えるでしょう。
まとめ 挑戦と再生のストーリー
志村美希さんの人生は、まさに山あり谷ありのドラマティックな道のりです。
小学生の頃に芽生えた走ることへの情熱を胸に、中学、高校、大学と陸上競技の世界で輝かしい成績を残しました。特に800メートル走では、全国大会や日本選手権の決勝に進出するなど、世代トップクラスの実力を示しました。その裏には、日々の厳しいトレーニングや、強豪校進学への強い意志など、並々ならぬ努力と決断がありました。
しかし、順風満帆に見えたアスリートキャリアの後、彼女は大きな壁にぶつかります。競技引退後に選んだ新たな道でうつ病を発症し、一時は社会から離れざるを得ないほどの苦しみを経験しました。人生のどん底とも言える時期を過ごしたのです。
それでも彼女は諦めませんでした。周囲の支えと、自身の中に残っていたランニングへの情熱を頼りに、SNSでの発信という新たな挑戦を始めます。自身の経験や想いを等身大の言葉で綴ることで、多くの人々の共感を呼び、ランニングインフルエンサーとして見事に再起を果たしました。
挫折を知っているからこその優しさ、困難を乗り越えたからこその強さ。志村美希さんのストーリーは、陸上競技での成功物語であると同時に、一人の人間が苦難を乗り越え、自分らしい生き方を見つけていく再生の物語でもあります。彼女の挑戦し続ける姿は、今、多くの人々に勇気と希望を与えています。
補足 この記事から得られる人生の解決策
志村美希さんの生き方からは、私たちが日々の生活や人生の岐路で直面するかもしれない悩みや困難に対する、いくつかの解決策のヒントが見えてきます。
- 好きなこと、情熱を注げるものを見つける大切さ
小学生時代の「走るのが好き」という気持ちが、彼女の人生を切り開きました。何かに夢中になる経験は、困難な状況でも自分を支える力になります。もし今、目標が見つからないと感じているなら、まずは自分が「楽しい」「好きだ」と感じることに素直に向き合ってみることが、第一歩になるかもしれません。 - 目標達成のための努力と行動力
強豪校への進学を実現させた行動力、そして日々の厳しい練習に耐え抜いた努力。目標を掲げ、それに向かって具体的な行動を起こし、努力を継続することの重要性を教えてくれます。高い目標でなくても構いません。小さな目標を設定し、達成する経験を積み重ねることが、自信と次への意欲に繋がります。 - 挫折や失敗から立ち直る力(レジリエンス)
うつ病という大きな挫折を経験しながらも、彼女は再び立ち上がりました。人生には予期せぬ困難がつきものです。大切なのは、失敗や挫折を経験したときに、それを乗り越える力、しなやかに回復する力(レジリエンス)を持つことです。完璧を目指すのではなく、失敗から学び、次に活かす姿勢が重要です。 - 変化を受け入れ、新たな道に進む勇気
アスリートからヨガインストラクターへ、そしてランニングインフルエンサーへ。彼女はキャリアの転換を恐れず、新たな道を選び取ってきました。一つの道が閉ざされたように感じても、視点を変えれば新しい可能性が見えてくることがあります。変化を恐れず、柔軟な思考で新しい挑戦を受け入れる勇気が、人生を豊かにします。 - 自分の経験を発信することの価値
SNSでの発信が、彼女自身の回復を助け、多くの人々に影響を与えるきっかけとなりました。成功体験だけでなく、苦労や失敗の経験も、誰かの役に立つことがあります。自分の想いや経験を言葉にして発信することは、自己理解を深めると同時に、他者との繋がりを生み出す力を持っています。
志村美希さんの物語は、どんな状況からでも人は立ち上がり、輝くことができるという希望のメッセージを伝えています。彼女の経験から得られるこれらのヒントが、あなたの人生をより良くするための、何らかの解決策に繋がれば幸いです。

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